曹洞宗 満珠山 勝楽寺。
かつては真言宗であったといわれており、開創(寺院の創設)の由来につながる法華峰は経ヶ岳のことで、その頂上には、修行者あるいは弘法大師が、華厳経を納めたとの伝説のある巨岩「経石」があります。
天文年間(1532~1555)能菴宗為開山(宗派上の開創僧侶)の際、曹洞宗に転じたとされています。初めの寺名永宝寺は、開基(開創の創立者)内藤秀行の寄進状(風土記所載)によって知られていますが、その後の常勝寺、勝楽寺への変遷の経過は不詳です。
18世の大忍国仙は、著名な良寛和尚の師僧でした。24世の天外独生は、渡辺崋山が訪ね得なかったことを悔やんだことが「游相日記」に記されるなど、歴代の住職には傑出した僧が多かったようです。
勝楽寺には、嘉永4年(1851)に建てられた壮大な山門があります。
文政12年(1829)、半原の柏木右兵衛安則が大工棟梁として着工しましたが、安則の死去により工事は中断。嘉永2年(1849)安則の子、矢内右兵衛高光が工事を再開し、足かけ22年で落成しました。
勝楽寺には、遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、地元では「田代半僧坊」と呼ばれ、地域の方々に親しまれています。
毎年4月17日に行われ、今年で129回目を迎える「田代半僧坊春の大祭」は、大変賑やかなお祭りです。1年の間に結婚した花嫁などが、挙式当日の晴れ姿で参拝する習わしがあり、「美女まつり」、「花嫁まつり」とも言われました。
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